海外旅行とは違って、長期に滞在するホームステイ。
めったにない経験が楽しみな一方で、辛いことがあったらどうしようと心配になりますよね。
私は今まで3回ホームステイへ行き、それぞれとても良い経験になりましたが、初めて行ったオーストラリアのホームステイだけは、辛かった思い出として残っています。
今回は、高校2年生の夏休みに、私が初めてオーストラリアでホームステイしたときの、辛かった体験談をご紹介します。
辛かった中で学んだこともご紹介しますので、ホームステイに不安を感じている方はぜひ参考にしてください。
留学、ホームステイでの辛い経験
私がオーストラリアでお世話になったホストファミリーは4人家族。
日本人留学生の受け入れは、私で2人目とのこと。
私が特に関わったのは、3週間の滞在中、同じ学校に通わせてもらったキラリーという15歳の女の子。(ホストスチューデント)
キラリーは、現地の同級生が「bossy」(親分風を吹かす)と呼んでいたくらい、自己主張が強めの子でした。
遠慮してあまり積極的に話せない私を、終始物足りないと思っている様子で、
このホストスチューデントのキラリーと相性が合わなかったことが一番辛かったです。
ホストファミリーの他のメンバーは、
ホストファザーは、マリオ実写版みたいなヒゲ面の陽気なパパ。
ホストマザーは、ちょっと神経質であまり笑わないけど、親切なママでした。
もう一人、18歳のお兄ちゃんは、別の町に下宿中で、滞在中一度しか会いませんでした。
具体的なホームステイ先での生活をご紹介します。
ホームステイ先との別れが辛いとは限らない?
到着後、キラリーと初対面…のはずが?
この初めてのホームステイは、旅行会社主催。
日本人の中高校生10人が、現地の学校の生徒の家にホームステイしながら、同じ学校に通うというもの。
ホームステイ先の名前や家族構成は、前もって知らされており、私は「4人家族のキラリーの家にお世話になる」と分かっていました。
飛行機を乗り継いで、バスで5時間移動して、丸一日かかってようやく現地の学校にたどり着いたのは夕方18時頃。
そこでさっそく自分のホストファミリーに会うところだったのですが、、
私が1人だけ先生に呼び出されて言われたのは、
「キラリーは、急な身内の不幸で受け入れができなくなった。
臨時で1週間だけ他のホストファミリーの家に滞在してほしい。
新しいホストファミリーはまだ来てない。」
「えっ!」とは思ったけど、このときは不安を感じる余裕すらなく、「分かった」と答えて、ただ勝手に進んでいく目の前の状況を、眺めているだけでした。
10分くらい待っていると、新しいホストスチューデントのリネイが優しそうな笑顔で迎えに来てくれました。
外国人の子供と接するのは初めてで、何を言っていいかも分からなかったけど、その笑顔にすごくホッとしました。
1週目 臨時ホストファミリー宅でホームステイ
さて、臨時のホストファミリー、リネイは母と娘の2人家族。
リネイは、第一印象通り、穏やかで優しい性格の女の子。
ママは、看護師さんをしていて、優しくていつ見てもキレイでした。
リネイの部屋に入ると、私のためのベッドが狭そうに置かれていて、急いで用意してくれたと思うと、すごく嬉しかった。
この年頃の生徒にはワルい子もいて、夜に子供だけで外出してこっそりタバコ吸ってたりもしてたけど、リネイだけはそういう場所にいても悪ノリしない子で、信頼できました。
リネイの家は急な受け入れにも関わらず、とても温かくて、英語での意思疎通は、単語レベルでしか取れなかったけど、ものすごく居心地が良かった。
さてそんな中、時々街を歩いていると、本来の受け入れ先のキラリー家族に会うことも。
会うたびにキラリーは遠くても駆け寄ってきて「会いたかったよ~!待ってるからね~!!」とハグ。
その大げさぶりに戸惑いつつ、歓迎されていると思えるのはありがたかった。
日本人の友達にも「キラリーって愛情すごいね」と言われてました。
最初の1週間はあっという間に過ぎ、土曜の夜に、キラリー家族が車で迎えに来てくれて、スーツケース1つでお引越ししました。
リネイ一家には感謝しかなかったけど、このときは、キラリーも大歓迎だし、期待も大きくて、リネイと別れる寂しさは感じませんでした。
本来のホームステイ先、キラリーの家へ移動
さて、キラリーの家はリネイの家よりかなり広く、おそらくちょっとお金持ちな感じ。
そして、キラリーはリネイより自己主張が強い。。
私の英語が単語レベルだったせいか、キラリーは家ではいつも両親に話しかけていました。
あんなに大歓迎だったのに?
ホストマザー&ファザーはたまに気を遣って、私に質問してくれましたが、ホームステイ先では聞き役でいることが多かった。
学校でも、グループのリーダー的な感じで、そのグループの友達と騒いでいました。
お互い気が合わないことには気づきながらも、ホストスチューデントなので、最後まで行動を共にしてました。
英語が通じる通じないより、そういった人間関係の方が、私の悩みでした。
それでも3週間は過ぎてしまえばあっという間。
お別れの朝、バスが待っている学校へ、日本人の学生たちはホストファミリーとの別れを惜しんで、目を赤くしてやってきてました。
別れが辛いくらいの出会いがあるのは、幸せなことですよね。
私はというと、形ばかりのハグをしたくらい。
ステイさせてくれたことへの感謝はもちろんありましたが、キラリーとは、お互い最後までドライなお別れとなりました。
ホームステイが辛い時に助けられたものは?
ホームステイ以外でもできる友達
ホームステイ先での相性が合わないのはつらかったけど、この3週間が良い思い出にもなったのは、ホストファミリー以外にも友達ができたおかげです。
前ホームステイ先のリネイは、その後も友達とのランチに誘ってくれたり、授業を隣の席で受けたりしました。
オーストラリア特有の日本語の授業に参加してもいいことになっていたので、その日本語授業が好きなロビンとも仲良くなりました。
大して英語が話せなくても、なぜか相性の合う外国人もいるんです。
それに、出発前は知らない同士だった日本人とも愚痴をいえる仲になりました。
留学中に、日本人と仲良くなることを恐れる必要はないです。
ずっとずっと日本人と日本語じゃもちろんダメだけど、精神的に辛い状況では、早く帰りたくなるばかりで、英語力の向上どころではなくなります。
悩みを日本語で話せるって必要です。
時々心のモヤモヤをリセットして、また英語の環境で頑張る気力が湧いたらいいのです。
仲良くなった友達とは、日本人、オーストラリア人どちらとも、帰国後も手紙のやりとりをしました。
言葉の壁を越えるスポーツ
ある日、家の近くのテニスコートを見つけて「テニスがしたい」と言ってみたところ、キラリーもテニスが好きと分かって、2人でやりました。
キラリーはなかなか上手で、私も好きなテニスが久しぶりにできて、とても楽しかったです。
冬のホームステイで運動する機会はなかったので、汗かいてリフレッシュにもなり、キラリーとも笑い合えて、日頃のわだかまりが軽くなった気がしました。
他にも、放課後の学校で、現地の男の子たちと一緒にバスケットしました。
日本人の男の子が参加していて、混ぜてもらったのです。
普段話す機会のない男の子たちとも仲良くなれました。
私はバスケは超初心者だったけど、みんなそれが分かってて、ニヤニヤしながら
「ここに立って、一歩も動かないのがルールね」とか、
「こっちにパス!」と相手チームが冗談で言ってきたり、
みんなで笑いながら楽しかった。
遠慮したり、他の子がやらないから、知らない子だから、という理由で、誘われても見ているだけの人もいましたが、こういう機会には積極的に参加するのがおススメです。
言葉の壁を越えるスポーツの力って不思議です。
たった10分でも一緒にスポーツした人とは、その後、学校で会った時にも気軽に「Hi」と挨拶できるようになり、急に知り合いが増えた気がしました。
日本でいう「スポーツ少年団」のような活動もあり、週末に、ネットボールやアメフトの試合を見に行くと、普段とは違う生徒たちの姿が見られて、面白かったです。
さいごに
私の初めてのホームステイは、ホストファミリー、特に同じ学校に通っていたホストスチューデントと相性が合わなかったおかげで今でも辛かった思い出として残っています。
でも同時に「言葉が通じなくても仲良くなれる人もいる」と分かったし、「もっと英語が話せれば、もっと楽しい」とも思えました。
日本に着いて、空港から自宅へ帰る途中の車の中で、
「次はもっと英語を話せるようになってから、数か月行きたい!」
と強く思いました。
結果として、その後、再び3週間のホームステイと、4ヶ月の留学に行き、今では1人で海外旅行も行けるし、仕事で英語も使っています。
今の私があるのは、すべて始まりはこのホームステイ経験のおかげなので、辛かったけど、本当に行ってよかった。
初めての海外、初めてのホームステイには、もしかしたら辛いこともあるかもしれないけれど、日本にいては学べないことも山ほどあります。
その経験が自分の未来を作るので、ぜひ勇気をもって出発してほしいです。